私が2024年になって大好きになったものが何かと聞かれたら、間違いなく競馬と答える。
すべては3月、いつか行ってみようと思っていた阪神競馬場に足を運んだことだった。
現地で観た競馬の臨場感に圧倒されどっぷり競馬を楽しむ人間になり、ブログとして競馬場行きについて書いたのは4月の東京競馬場と5月のパークウインズ中山競馬場についてだけだったけど、その後も何度か競馬場には足を運んでいた。
そして現地で競馬を観るだけでなく、家にいる日も競馬を楽しむようになって。
そんな流れで、私は好きな馬を見つけるようになり、そして応援するようになった。
応援する馬はG1で走る馬から条件戦(○歳○勝クラスといったレース)に出てくる馬まで様々だったけれど、特に好きになった馬がいた。
その名はブローザホーン。
私がブローザホーンの存在を知ったのは2024年天皇賞・春だったから、もっと前からブローザホーンを応援している人から見たら薄っぺらめな好きに見えるかもしれないけれど、天皇賞・春の追い込み具合がすごいと思って好きになったのは確かだから、薄くても仕方はないと思うが好きになった。
ブローザホーンについて調べてみたら、同い年のイクイノックス・ドウデュース・ジャスティンパレスがダービーで走っている裏側で、ブローザホーンはその翌月の未勝利戦でようやく勝ち上がっていたという状態だった。
未勝利戦を勝ち上がってからは成績が安定しだして、毎回勝利…ではないにせよ京都大賞典で競走中止になったことを除けば安定して上位に入る戦績になり、2024年1月の日経新春杯では初の重賞勝利を勝ち取って。
そして阪神大賞典3着、天皇賞・春2着を経て宝塚記念でG1初勝利を挙げた。
オーナーサイドから有馬記念を目標にすること、そして2025年にはあの凱旋門賞を視野に入れたいという話も出てきたので、秋もこの調子でどんどん上を目指して欲しい!と思っていた。
しかし現実はうまくはいかず。
結果として本調子ではなかったということで秋初戦の京都大賞典が最下位に敗れると、ジャパンカップも12着に終わって。
京都大賞典は休み明けだったこともあったし、ジャパンカップは東京競馬場や展開が合わないだろうということは感じていたので仕方ないと思えるところはあったから仕方ないかなという気持ちはあった。
ただ、有馬記念が大目標と言っていたし、中山競馬場は過去に良績もあるコースなので、有馬記念は復調するのでは…と、ドウデュースの秋古馬三冠が世間の話題となる中で私の注目ポイントはブローザホーンが走れるかどうかになっていた。
ドウデュースが直前で出走取消となり、混戦ムードが漂い始めた有馬記念。
雨が降らなくたって、ブローザホーンがやれるところを見たい…とひっそり願いながらレースを眺めたのだけれど。
結果は、12着。
位置取りがどうとか展開がどうとか、色々な理由はあったとは思うけれど、大目標を公言していたレースで結果が出なかったというのが事実で。
とりあえず、頑張って走って、無事にレースを完走してくれたことは良かったけれど、雨じゃないから仕方ないみたいな感想を見て、過去に雨じゃなくても走ったことあるじゃん!みたいなことをこっそり思ったりして。
そして一頭の馬を応援してみて思い知ったことは、競馬というものは勝者の裏に敗者がいるということ。
どうしても強い馬の光側のストーリーが大きく取り上げられるけれど、実際には影側になっているたくさんの馬達にもそれぞれのストーリーがあるのだよね。
なんとなく有馬記念やってるから観ておくか…なんてテレビを眺めてる時は、単純にどの馬が勝つのかを観ているだけだった。
でも、応援したい馬を見つけてしまってからは、どうしても応援している馬の活躍を祈ってしまうし、どうしても必要以上の情が入ってしまう。
無事に走ってくれたらそれだけで充分という気持ちも確かにあるけれど、走っている以上は少しでも上の着順に入ってほしいと思っちゃうんだよね。そして結果が奮わないと少ししょんぼりみたいな。
そもそも展開一つで結果が変わってくる競馬の世界でずっと勝ち続けている馬なんてめったにいないわけだし、馬は生き物なのだからいい時も悪い時もあるのは当然なわけで。
ただただ応援した馬が上位に来てくれて嬉しかった宝塚記念と比較して、有馬記念では色々な感情を持つことになってしまったけれど、これも勉強なのかな…と思うことにした。
まぁ、予想が当たってればもっとテンションは高かったのかもしれないね(本末転倒)!
新年になると一つ歳を重ねる馬の世界。
6歳になるブローザホーンはまだまだ走ってくれるはずなので、これからも応援は続けていこうと思っている。
お気持ち表明感すごいけど…たまにはいいかな?いっか。
それでは、また。