タイトルからして多少の重さがあるけど、実際重い感じの内容になるかもしれない。
12月になると存在を思い出す、年賀状の存在。
年賀状さ、好きだったんだよね。
自分の青春時代にはインターネットなんてものはなくて、趣味で繋がった友達との交流手段が文通だった。
今の若い世代の人からしたら「文通」なんて死語みがすごすぎて笑われそうなんだけど、LINEどころかメールすらなかったから、手紙のやりとりを延々と続けたりしていたんだよね。
そんな手紙を書いたり読んだりするのが好きだったこともあったからか、その延長線上として年賀状も好きだった。
年賀状を書くのも、届いた年賀状を見るのも、元旦にポストを確認しにいく行為すら楽しいと思っていた。
なかなか会うことができない相手も、年賀状で近況をやり取りすることで、なんとなくでも繋がりがあるような気がしていてね。
でも、いつの間にか年賀状は印刷しただけのものが届くようになったり、こちらも「元気ですか」だけみたいな、書くような話題もなくて苦しまぎれの挨拶だけになってしまっていることも増えて、なんだか年賀状のやり取りが義務っぽい感じになっている気がしてきた。
決定打だったのが、数年前の12月に身内に不幸があり、急遽年賀状を出せなくなった時。
喪中のお知らせを出すことも間に合わなかったので、年賀状が届いたら寒中見舞いを出そうと思っていたのだけれど…びっくりするくらい来なかったんだよね、年賀状。
不幸があったことを絶対に知らない知人・友人からも来なかった。
不幸があったことを絶対に知らない知人・友人からも来なかった。
偶然年賀状をやめたタイミングだったのか、届いたら出そうと思っていたのか、それはわからないんだけど、この時スッと冷めた気持ちになってしまってね。
年賀状の繋がりなんて、とても希薄なものだったし、無理にやるようなもんじゃないかも…って。
もちろん、今でもじっくりメッセージが書かれている年賀状をくれる人はいて、そういう相手に年賀状をじっくり書いたりするのは好きだから、年賀状を完全にやめるかというとまだ続けていたいな…と思うけど、手広く(というほどの友人もいないけど)年賀状を頑張るみたいなのは、もういいかなって感じ。
数年前の出来事を機に、年賀状を送っても相手から届かなかった場合には遠慮なく年賀状を送るのをやめるようにしているので、今年はごく最低限しか年賀状を用意しない感じになっているけれど、結果としては送りたい人に送る感じだから、それはそれでよかったと思う。
ただ、年賀状のくじの当選番号を家族と必死に調べて切手シート当たって喜んでいたあの頃が、ふと懐かしく思ったりもするんだな。
「あの頃」を懐かしんでいても仕方がないとは思いつつ、もうあの頃は遠くにいってしまったのだね。
それでは、また。